ブレードランナー

フィリップ・K・ディックのSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」をリドリー・スコットが卓越した映像センスで映画化。

近未来。地球環境の悪化により、人類の大半は宇宙へと移住し、地球に残った人々は絶え間なく降る酸性雨にさらされ、人口過密の高層ビルが建ち並ぶ都市での生活を余儀なくされていた。宇宙開拓の前線ではタイレル社が開発した人間そっくりのネクサス型ロボット、通称“レプリカント”が奴隷として過酷な労働に従事していた。レプリカントの中でも特にネクサス6型は体力も敏捷さも人間に勝り、知力もそれを作った技術者に匹敵した。彼らになかったのは感情。過去の人生経験がないために感情移入する能力がなかったのだ。しかし製造から数年経てば、彼らにも感情が芽生え、中には人間に反旗を翻すものもあった。地球に戻ったレプリカントを処分するために結成されたのがレプリカントを見抜く尋問訓練を受けた特捜捜査官“ブレードランナー”。

2019年、ロサンゼルス。宇宙植民地にいたレプリカント男女6名が乗組員を殺害してスペースシャトルを奪い地球へ密航、タイレル社に押し入る事件が発生する。一人は殺されたが残りはロサンゼルスに潜伏しているという。レプリカントを処分するという職務に疑問を抱き、ブレードランナーをリタイアしたデッカード(ハリソン・フォード)はその優秀な能力から元上司のブライアント(M・エメット・ウォルシュ)に現場復帰を強要される。リオン(ブライオン・ジェームズ)、ゾラ(ジョアンナ・キャシディ)、プリス(ダリル・ハンナ)、そしてロイ・バッティ(ルトガー・ハウアー)ら4人のレプリカントの足取りを追うためにまずは彼らレプリカントの開発者であるタイレル博士(ジョー・ターケル)と面会したデッカードはそこで出会ったタイレル博士の秘書レイチェル(ショーン・ヤング)の謎めいた魅力に惹かれる。レプリカントを狩るということに言い知れない虚無を感じながらも捜査を続けるデッカードが知る真実とは。


今さらながら「ブレードランナー」の感想を書いてみる。はじめて観たのはもう20年以上も前なんだなぁ。全然記憶にありませんケド。デモ、ハリソン・フォードのやる気なさげなナレーションをうっすら憶えているから、やっぱり劇場で観たのかなぁ?よく思い出せん。それからもTV放映時に観たり、レンタルビデオ借りたり、DVDを購入したりと繰り返し観てるワケだが。ホント今さらミーが書くまでもない作品なワケだよ。元祖サイバーパンク映画の金字塔ですね。はい、それではおあとがヨロシイようで〜。

いかん。また短小映画感想で終わらせようとした。頑張れKOROちゃん。貧相なボキャブラリーを総動員してこの作品を観た時の感動を表現するのだ!え〜、ゾラのコスチュームが寒そうでした。プリスのスケスケレオタードがエロくて良かったデス。プリスのお股に挟まれて苦しむデッカードがちょっと嬉しそうに見えマシタ。バッティのおパンツ姿はちょっと頂けませんデシタ。終わり。なんだよ、そりゃ。どういう観点で観てるんだよ。まぁ、なんだ。公開時は全然話題にはなってなかったよ。だって雰囲気暗いし。街は混沌として明るさなんてこれっぽっちもない。始終、雨が降り続き青い空なんて出てきやしない。どこまでも陰鬱な世界。台詞も少なく、ストーリー的にも観る側に委ねられ過ぎな感があるので雰囲気に乗れない人は全然受け付けない作品かもしれない。けれど、その圧倒的なまでの映像センスには目を瞠ったなぁ。ミーは明朗快活どっかんどっかん派手なSF作品も大好きだが(フラッシュ・ゴードンとか)、「2001年宇宙の旅」や「禁断の惑星」のようなどちらかというと重い内容のSF作品も大好き。ま、単に節操がないだけですが。

リドリー・スコットが描き出した荒廃した未来都市の様子や細かいストーリーなどは非常に有名な作品なのでグダグダ書くつもりはないが、一言申したい。どうして未来の女は髪の毛を下ろすと不細工になるのだ!なんだよ、なんのことだよ。だってね。レプリカントのゾラが髪をタイトにまとめて登場するシーンは「うひょ〜、ふるいつきたくなるようなセクシー美女だね!」と興奮したのに、シャワーを浴びて髪の毛を乾かして出てきた姿に驚いた。アンタ、誰だよ。どこの野獣系だよ。ワイルド過ぎて、おっぱい丸出しでも嬉しくなかったよ。それと逃げるなら、もっと目立たない格好をしろ。レイチェルも髪をアップにしてる時はなんとも不思議な魅力満載なんだけど、髪の毛を下ろすと途端に神秘的な雰囲気がなくなるのは何故だ。プリスちゃんは最初から最後までカワイカッタです。へんてこりんなメイクをしようとも髪の毛を逆立てて鬼気迫る表情をしようとも可愛かったデス。舌出して目を剥いててもカワイイ←偏愛

登場シーンはさして多くはないのにその圧倒的な存在感で主役のハリソン・フォードを完璧に食ってしまったルトガー・ハウアー。しかし、ハリソン・フォードは「エアフォース・ワン」ではゲイリー・オールドマンに食われるし、「パトリオット・ゲーム」ではショーン・ビーンに食われてたし、食われ上手な役者だな←褒めてねぇよ。いかん、ハリソン・フォードのお召し上がれ精神を語ってる場合じゃなかった。ルトガー・ハウアーですよ!ロイ・バッティですよ!正直、顔と体型が激しくミスマッチだったのは衝撃だが、あのレプリカント然とした雰囲気を醸し出しながら思慮深い眼差しをしているロイ。悲しげな瞳がたまらん。彼の目的を知ってしまった時のあのやるせなさ。ラストの台詞は何度聞いても震える。そしてロイがデッカードを○○ことも。何故、彼はデッカードの○を○○なかったのか。心を持たないと言われたレプリカント。しかしロイは○○が間近に迫り、○○○を得た。お前達、人間と呼ばれるものにも果たしてそれはあるのか?と。あれはレプリカントから人間への問いかけではなかったのか。

冒頭で6名のレプリカントが地球に潜入して1人は殺されて残りが4名とブライアントが説明するシーン。計算が合わないが実は予算の都合で6人目のレプリカントのシーンが撮影されなかったにも関わらず、台詞の差し替えをしなかったためらしい。長年、ブレラン・ファンの間では6人目のレプリカントは誰なのか?という議論が熱く語られてて、デッカード・レプリカント説を支持するファンもいたとか。監督自身も後年その説を認める発言をしたとのことだけど、あくまでも後付けのよう。1992年のディレクターズ・カット版ではデッカード・レプリカント説を示唆するような「ユニコーンの夢」のシーンが追加されてはいるけれど、ミー的にはデッカードは人間の方がしっくりくる。あんなに弱いレプリカントいるのかよ。

公開版のエンディングははっきりとハッピー・エンドの形を取っていたけれど、ディレクターズ・カット版のエンディングもミーはアリだと思う。これは現実なのか?自分が真実と思っていることは本当に真実なのか?自我とは?という疑問を投げかけることがこの作品のメインテーマだとミーは思ってるのでデッカードの正体がどうとか、レイチェルがどうなるとか深く追求するのは無粋じゃないのかな、と思う次第。
1982年/アメリカ/117分/監督:リドリー・スコット
BLADE RUNNER
2009.03.26記

「あんなものを4つも食べようとするデッカードの気がしれない」
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