ありがとう──この想い、届くだろうか
佐藤乙松(高倉健)は、北海道道央に位置する廃止寸前のローカル線“幌舞線”の終着駅である幌舞駅の駅長。鉄道員一筋に生きてきた乙松だったが、定年退職の年を迎え、また同時に彼の勤める幌舞駅も廃止の時を迎えようとしていた。
彼は結婚後17年を経て授かった一人娘を生後数ヶ月で病気で失い、また数年前には妻に先立たれ、孤独な人生を送っていた。我が子の最期も妻の最期も仕事を優先して看取ることが出来なかった乙松。
ある雪の日。ホームの雪掻きをする乙松のもとに、忘れ物をしたという一人の幼い少女が現れる。それが、彼に訪れた優しい奇蹟の始まりだった─
何かの冗談ですかッ。KOROたんが“ぽっぽや”の感想ですってぇッ!どうしたんだ、ヘヘイ、ベイベー。いや、特に理由はないですが。諸般の事情により、高倉健作品をイヤっつ〜ほど観たもんで、つい。観たつ〜か観せられたつ〜か。とにかく、せっかく観たんだから感想書いとく?いいリハビリになるんじゃね?もう半年近く映画感想書いてないしな。つ〜ことでレッツ・トライ!
健さんの○○シーンが衝撃的デシタ。以上、ぽっぽやの感想デシタ。…なんか、やっぱりミーに感動作とか合わないみたい。それにこの作品。ある意味お仕事で観た作品なんで、素直に作品世界を楽しむつ〜よりも粗探しみたいな視点で観ちゃったからなぁ。
因みにそんなミーでも広末涼子登場シーンは泣きマシタ。演技がクサかろうが、関係ない!カワイければ人生の80%は無問題ッ。カワイイってだけで色々許されるッ。そんなパワーがこの作品の広末涼子にはあった。登場シーンはわずかだが、非常にイイ。マジで恋する5秒前だな、こりゃ←アホ
いかん、変な方向に暴走した。軌道修正。ミーは心が荒んでおる上に捩れた精神をしておるので感動モノではさっぱり感動出来ないコトがままあるワケですが、この作品でもそこまで泣けなかった。泣いたのは広末涼子登場シーンのみ。あれは涼子たんの可憐パワーの賜物だ。因みに「どこの世の中に○○の○をおっかながる○がいるもんかね」と○○を前にして全肯定の乙松には感動の涙を流さずに爆笑シマシタ。このおっちゃん、変なトコで革新的だわみたいな。
68歳になった健さんが愚直なぽっぽやを好演してるトコはいいですな。いつになく柔らかい物腰の健さんがいい。ストーリー的にはお涙頂戴路線な点が興ざめ。幌舞の雪深い風景はよい。だるま屋の女将を演じている奈良岡朋子が出番は少ないが、さすがの貫禄演技。気の荒い炭鉱夫同士の喧嘩を一喝して収めるシーンがKORO的お気に入りシーンですわ。そういやもう一人ケンさんが出てたな。ケンはケンでも志村けんだけど。大竹しのぶが妻役というのはムリがあるというか食い合わせが悪いというか。同様に小林稔侍の妻役が田中好子というのも違和感。息子が吉岡秀隆ですよ?後妻なのかよ。
それと妻の静枝が時折口ずさむ曲が「テネシー・ワルツ」ってのが気になった。なんか深い意図でもあるのかしら。曲が曲だけに妙に勘ぐっちゃうわ。
112分とそれほど長尺でもないのに、やたらとエピソードが多くて煩雑な印象になってる点が惜しい。過疎や赤字路線の廃線という現実問題を描いているのか思ったら、後半にいきなりファンタジーになるのが違和感。もう少しエピソードを絞って、見せ方を工夫したら後半の展開に突飛な印象はなかったかも。そんなワケで6点。
1999年/日本/112分/監督:降旗康男
鉄道員
2010.09.12記