ゲド戦記

見えぬものこそ。

アーシュラ・K・ル=グウィンの小説「ゲド戦記」の主に第3巻の「さいはての島へ」を原作とした宮ア吾朗初監督作品。

多島海世界“アースシー”は世界の均衡が崩れつつあった。人間界には姿を現さないはずの西海域の果てに棲む竜が、突如として人間の住む東海域に現われて共食いを始める。呼応するかのように世界では様々な異変が起こり始める。災いの元を調べる旅に出た魔法使いハイタカは、その途中でエンラッドの王子アレンに出会う。父である王を刺し、父の持ち物であった魔法の剣を持ち出し国を出奔したアレン。彼は実体のない影の存在に怯えていた。アレンを伴い旅を続けるハイタカ。ポート・タウンに着いた2人は街外れに住む、昔馴染みテナーの家に身を寄せる。そこには人狩りに遭っていたところに出くわし、成り行きからアレンが助けた身寄りのない少女テルーも住んでいたが、自暴自棄で死を望んでいるかのようなアレンの態度に彼女は激しい嫌悪を示すのだった。


ハイタカが旅の途中で廃虚となった町を訪ねるシーンの構図や台詞が「風の谷のナウシカ」のユパ様が腐海に冒された町を訪れた件に激似と感じてしまうのはミーの錯覚でしょうか。人狩りしてたちょびヒゲおっさんのウサギが「千と千尋の神隠し」に出てきた番頭さんに見えて仕方がないのも、ミーの目が濁ってるせい?クモが変身する時の姿がまるっきりカオナシだぞ。…おいおい、いきなり文句垂れか?2006年に観て今さら感想を書いてるってのに初っ端から辛口コメントかよ。遠慮ナシだな。

つ〜か「ハウルの動く城」と同じく劇場で観たっきり再鑑賞してないから、きれいさっぱり内容なんか忘れちまった。テルーの声をあてた手嶌葵の演技が平板で眠気を激しく誘ったことくらいしか覚えてないよ。公開前にエラく評判になった「テルーの唄」も、こんなとこで出てくるのかよッ!とツッコまざるをえないシーンで歌っててガックリきたわ。単体で聴くと泣けるのに何故、映像と一体化するとさっぱり涙が出てこないのか。

なんつ〜か。はっきり申しまして。どうにもこうにも置いてけぼりッ。もしくは既視感満載。アレンとテルーが真の名を明かすシーンは、まんま「千と千尋の神隠し」ですわ。それくらいしか感想が浮かばん。多分、宮ア吾朗ちゃん(何故ちゃん呼ばわり)の頭の中ではそれはスンバラシイ物語が紡がれていたと思うんですわ。デモ、それを観客に伝える力がなかったと。脚本も担当した吾朗ちゃんだけど、何の工夫もなく台詞で作品のテーマを連呼するのにも辟易しました。しかも平板な声の演技でご大層に「命は大事!」と叫ばれてもなぁ。

ミーはル=グウィンの「ゲド戦記」は未読だし、キャラクターイメージの元になった吾朗ちゃんの父である駿たん(今度はたん呼ばわりか)の絵物語「シュナの旅」の存在も知りマセンでしたよ。だから原作との相違だとかそんなことは言及出来ませんが、アレンが父親を刺すに至る動機、彼が父を刺してまでも何故剣を手に入れようとしたのか、魔法により抜けないその剣が初めて抜けたその理由つ〜のがさっぱり判らん。最大の疑問点はテルーの存在。ユーはなんなんなんだ。アレンと唐突に心を通わすのも納得出来ん。

とにかく諸々の謎にこれっぽっちも回答を用意しないままエンディングを迎えてしまったのにKOROちゃん唖然です。ま、吾朗ちゃん。これに懲りず頑張れよ←何故、上から目線
2006年/日本/115分/監督:宮ア吾朗
ゲド戦記
2009.07.18記

「ことばは沈黙に 光は闇に 生は死の中にこそあるものなれ」
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