未来世紀ブラジル

近未来の仮想の国を舞台に徹底した管理社会を描いたブラック・コメディ。

20世紀のどこかの国。そこはコンピュータによって極度に情報化され、国民は徹底した管理社会の下に置かれていた。ある日、情報省剥奪局で役人が叩き落としたハエによって、コンピュータ情報の一部が壊れてしまう。そのせいでテロリストの“タトル”と善良な市民“バトル”を取り違え、情け容赦なくバトル氏を連行する情報省剥奪局の役人。

バトル氏逮捕の記録がエラーになることに気づいた情報省記録局のカーツマン局長(イアン・ホルム)は局員のサム(ジョナサン・プライス)に助言を求める。バトル氏の件を処理するために出かけようとしたサムは事件について情報省に抗議に訪れたジル(キム・グライスト)という女性に出会う。サムは最近、頻繁に銀色の羽根をつけた騎士となって美女を助け出す夢を見ていたが、ジルはまさに夢の中の美女そのままだった。夢中でジルを追うサムだったが、彼女は全く相手にしてくれない。

サムはジルの正体を知りたい一心で今まで断っていた昇進話を受け入れ、情報省剥奪局へと栄転するが…


だめだ。冷静に書けない。まぁ普段の感想も冷静とは思えない散漫な文章ですけど。この作品はホントに冷静に書けそうにナイ。だって公開時、つまりは1986年に観て以来、何度観たか判らないマイ・オールタイム・ベストですから。何度観ても泣く。「ラ〜ラ〜ラララ、ラララララ〜」とテーマソングの“Aquarela do Brasil”のメロディを思い出すだけで胸が痛くなる。

高度な情報社会。徹底された管理社会。その徹底されているはずの高度情報化社会が実はとんでもなく杜撰であるという事実。歳出規模が国の総生産額の7%という巨大な機関の情報省の存在。肥大化しすぎ、本質を見失った巨大組織の迷走。そして人々は常にダクトに囲まれ、がんじがらめの生活。整形に血道をあげ、ステーキという名の粉末を食する。きゃぁぁ〜ッ!やっぱりおちゃらけ文章が書けないよ!どうしよう、困った。というか、ミーにとって冷静な状態というのはおちゃらけることだったのか。ガ〜〜〜ン。

今までも何度も感想を書こうと頑張ったのですよ。しかしその度に挫折。初めて観た時の衝撃が大きすぎて、冷静(おちゃらけ)に書けないというか。書いてる途中でストーリーを思い出してむせび泣きはじめ、画面が涙で曇って見れないというか。

どこまでが夢でどこからが現実なのか判然としないストーリー。近未来なのか過去なのかさえ、はっきりしない世界観。そんなに現実世界とは離れてはいないが、何かが決定的に違っていて微妙に違和感を感じる、20世紀のどこかの国。規則、規則で仕事の本質を見失い形ばかりに拘る形式至上主義の役人を徹底的におちょくった描写。そして全く救いようのないラスト。かなり好き嫌いが分かれる作品だと思うのですが、ミーは好きだ。ホントにラストは救われない。そして主役のサムははっきり言えば勘違いヤローだ。猪突猛進。ジルが逃げるのもムリない。でも、冴えない男サムがジルに会いたいが為だけにどんどん深みにはまっていく姿に最後は涙してマシタ。切なすぎる。

管理社会を見事なまでに皮肉った内容もヨイですが、ギリアム色満載の圧倒的な映像も素晴らしい。なんかとんでもなくお金かけてるケド、かけどころがひねくれてる感アリアリのところとか。サムが見る夢の幻想的でそして悪夢のような世界。まぁサムライはなんじゃこりゃですけどね。ギリアムの描く世界の機械とか小道具って、どこか有機的で気持ち悪いトコが好き。

ロバート・デ・ニーロが非合法のダクト修理屋タトルを演じてマス。あんなカッコいい修理屋がいたら、非合法だろうが真夜中だろうがムリヤリだろうがカモ〜ンですよ。そんなとこから飛び降りるかよ!ですよ。出番は少ないケド、かなり美味しい役でした。あ、ちょっと普段のテンションに戻れた。

救いようのないラストに明るいテーマソング。鑑賞後、無意識にそのテーマソングを口ずさんでいる自分に気づき、ぞっとする。ギリアム監督、アナタはステキに狂ってます。
1985年/イギリス・アメリカ/143分/監督:テリー・ギリアム
BRAZIL
2008.2.13記

「拷問時のマスクがパタリロにしか見えない」
アイ★ラブシネマTOPに戻る