ウソ発見器+体内時計+スリ+演説=犯罪ドリームチーム
他人の嘘が即座に見抜ける人間嘘発見機の成瀬(大沢たかお)、言葉を巧みに紡ぎ、いつ果てるとも知れない演説をぶつ演説の達人の響野(佐藤浩市)、若き天才スリ師である久遠(松田翔太)、そしてコンマ1秒単位の正確な体内時計を備え持つ雪子(鈴木京香)。
ある日、銀行での爆弾騒動の現場に偶然居合わせた4人は成り行きから爆弾事件を阻止するが、図らずも4人が組めば自分達の特異な才能を生かせることに気付く。かくして4人は「人を傷付けない」ことをポリシーとして銀行強盗チームを結成する。
だが、ある銀行を首尾よく襲った帰途、突如現われた覆面の男達に盗んだ金を横取りされてしまう。計画が漏れていたのか?それとも裏切り者がいるのか?
このところの伊坂幸太郎による小説の映画化ラッシュは凄まじいものがありますな。ひところの東野圭吾のようですな。伊坂幸太郎氏の本は残念ながら一冊も読んでない。知り合いに「伊坂幸太郎いいですよ!」とやたらと薦められたが、その知り合いとは読書の傾向がかなり違うので、変に敬遠しておったワケですが。映画化されたこの作品も特になんの思いいれもなく観たワケですが。
…これは原作ファンは激しく憤り、未読の人は「伊坂幸太郎ってつまらん作家じゃね?」と思わせる危険フレーバー満載の出来なのではないだろうか。なんつ〜か。観ているこっちが気恥ずかしくなるようなオープニングにいきなり観ようとする意欲を削がれる。いや、ココで負けてはいかん!頑張れKOROちゃん!デモ、ドドーンとタイトルが大写しになった時点で観るのをやめようかと真剣にオモタ。タイトルのフォントが絶望的にダサい…。
スタイリッシュなギャング映画を狙ってるようなんだが、スタイリッシュを気取るほど逆に空回り。響野が「銀行強盗にはロマンが大切だ」と言うけれど、彼らのやってることにはロマンが感じられない。ロマンはですな、拘りが必要なのですよ!他人が馬鹿馬鹿しいと思うくらいの鬱陶しいまでの並々ならぬ拘りが必要なのですッ!銃にも逃走車の車種にも拘れッ!←どこのロマン研究家だ
豪華なキャストを揃えておきながら、人間が描けてないし、こういった作品の醍醐味である頭脳戦もまるで描けてない。そういった地味な要素の面白さを演出する力量のなさをファッションや奇をてらった演出で誤魔化してるカンジ。伊坂幸太郎ファンの知り合いに言わせると、伊坂作品の面白さは会話の軽妙さと複雑に張り巡らされた伏線がラストで一気に回収されるトコなんだとか。この映画化作品にはそれがなかった。終始、しゃべりまくりの佐藤浩市の演技は巧かったが、“陽気”と“軽妙”は違うと思う。どうも「陽気な」というコトばかり強調されてる気がする。
あ、鈴木京香と大沢たかおの芝居は陽気とはいえんな。どうもあの2人が絡むと芝居が重い。雪子と成瀬の恋愛って必要なの?あの2人が惹かれ合ってるって設定はムリがある。鈴木京香と大沢たかおじゃ、ドS系家庭教師と万年浪人生のカポーにしか見えんわ。実際は同い年だが、どう見ても鈴木京香の方が貫禄ありすぎ。さすがアルゼンチンババア。
いかん、好物の女優でもないのに鈴木京香に文字数を割いてしもうた。成瀬と雪子が惹かれ合う要素が見い出せん。なのでラストの○○も意味不明。凡庸という言葉しか浮かんでこない。もっとお互いの特異な才能を生かした気の効いた会話とかないのかね。観てる側をドン引きさせてどうする。
冒頭の銀行強盗シーンは若干、期待感を持たせてくれたが、それ以降はどうにも煮え切らない展開。こういう作品ってラストに向かってどんどん加速していくような疾走感が必須だと思うのに、尻すぼみな印象しかなかった。CG全開のカーチェイスシーンや美術には遊び心はあったけど、ロマンは一片もない。ラストのどんでん返しの見せ方が下手で「してやられた」感が全く感じられないのは致命的だと思う。「ロマンはどこだ!」と、こっちが叫びたい。
2006年/日本/92分/監督:前田哲
陽気なギャングが地球を回す
2010.01.11記