あの橋を渡るまでは、兄弟でした。
故郷を離れて東京で写真家として成功し、自由奔放に生きる早川猛(オダギリジョー)は母の葬式にも顔を出さなかった。しかし、兄である稔(香川照之)の奨めで母の一周忌に久しぶりに帰郷する。父と共にガソリンスタンドを切り盛りする兄。頑固な父と猛は折り合いが悪かったが、温厚な稔がいつも2人の間をとりなしてくれていた。
ガソリンスタンドで働く幼馴染みの智恵子(真木よう子)とも再会した猛は、その夜、彼女と関係を持つ。翌日、兄と智恵子と共に近くの渓谷に遊びに行くが、そこで思わぬ出来事が。猛が智恵子を避けるように写真を撮っている時に渓流に架かる吊り橋から智恵子が落下したのだ。その時、そばにいたのは稔だけ。これは事故なのか?事件なのか?
やがてはじまる裁判。審理が進む内にこれまでとは違う一面を垣間見せる兄を前にして猛の心はゆれていく─
「キサラギ」を観たら、香川照之の演技にハマってしまい、この作品も観たワケだが。なんつ〜か、感想が書き辛い作品だな。決して面白くないワケではないんだけど、とにかく一筋縄でいかないというか。ミーの個人的感想としましては。ちょっと構成がずるいかなぁ。猛が○○○を見るタイミングをもっと前に持ってきて欲しかったなぁ。
弟は見ていたのか。兄は信じて欲しかったのか。ゆれる記憶。ゆれる感情。観ている側の心もゆれる。記憶というものはあんなにも曖昧なものなのか。感情によって見たもの、聞いたものが変わってしまうのか。観ている間、ずっと吊り橋のごとくミーの感情も揺れっぱなし。
香川照之はもちろん巧いが、オダギリジョーも驚くほど巧い。外見的にはこの2人が兄弟?腹違いなのか?っていうくらい似てない兄弟だが、2人の言葉は少ないながらもお互いに寄せる気持ちがひしひしと伝わってくる演技の妙の前では些少な問題。オダジョーの裁判の時の腐った魚のような目に驚きましたわ。
それと智恵子の部屋での表情がこれまたリアル。智恵子の部屋の様子、そして自分の写真集をみつけた時の表情。あの嫌悪感顕わな表情。ミーは男じゃないけど、「判る、判る。あぁいう顔するわ、男って」と頷きましたわ。え?別にミーが智恵子みたいな立場になったことがあるワケじゃないですよ?○○○した後におばちゃん然とした綿入りガウンを着てトマトなんか切ったことねぇよ!失礼だな!帰らせてもらうよ!
あ、脱線した上に勝手に激昂した。怒りっぽいご老体でスンマセン。気を取り直して。
出番は少ないが真木よう子もいい。すごく自然で演技してるってカンジがしない。あまりにも自然体。智恵子の心もゆれている。安定しているが退屈な毎日。久しぶりに再会した猛の存在が彼女の心を大きく揺さぶる。彼女の演技もさることながら、脚本が非常に優れてると思いマシタわ。ただ、演技は申し分なかったが、露出が少ないのが惜しい。豊満なおっぱいをもっと露出して頂ければミーは間違いなく彼女に満点を差し上げていたと思いマス←エロ親父か。キム兄はKORO的にはミスキャスト。あんな検事いるのか?罪よりも人を憎んでるとしか思えないキャラクタに違和感。
それにしても死んでしまった智恵子の存在が兄にも弟にもそれほど重要に感じられなかったのが不憫だったなぁ。ラストの兄の笑顔。ここでも判断がゆれる。許したのか、許してないのか。心からの笑みなのか。兄は帰るのか。どこまでも観ている側に委ねられる判断。
2006年/日本/119分/監督:西川美和
ゆれる
2010.02.21記