タクシードライバー

ダウンタウンのざわめき。街の女、光のカクテル…。濡れたアスファルト、けだるいジャズの吐息。ニューヨークの夜が、ひそやかな何かをはらんでいま、明けてゆく…

ニューヨークの街を走る1人のタクシードライバーを主人公に、身近に潜む狂気を描いたアメリカン・ニューシネマ最後期の傑作。

不眠症に悩まされている元海兵隊員のトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)は小さなタクシー会社に職を求める。運転手として採用されたトラヴィスだったが社交性に欠ける彼は同僚とも親しめず、休みの日はポルノ映画に通い、そしてニューヨークの街をタクシーで流しながら、麻薬とセックスに溺れる若者や盛り場の退廃ぶりに嫌悪感を覚える毎日だった。

トラヴィスは次期大統領候補のパランタイン上院議員(レオナルド・ハリス)の選挙事務所付近を通りかかった際に、そこに勤務する女性ベッツィ(シビル・シェパード)に心魅かれる。デートにこぎつけたトラヴィスだったが、ポルノ映画館に誘ったことでベッツィの怒りを買ってしまう。

ある夜、トラヴィスの車に逃げ込んできた幼い少女。まだ年端もいかぬ彼女を連れ戻すヒモ。数日後、偶然その少女アイリス(ジョディ・フォスター)に出会ったトラヴィスは彼女がまだ12歳だと知り、売春をやめて学校に行け、ヒモであるスポーツ(ハーヴェイ・カイテル)に利用されているに過ぎないと諭すが、彼女は取り合わない。

理想と現実の狭間でトラヴィスの不眠症はいっそう深刻さを増し、心は荒んでいくばかり。やがて闇ルートから銃を手に入れたトラヴィスはそれをきっかけに身体を鍛えはじめる。そして彼の胸中にある計画が芽生え始める。


何度も観てる作品なんだけど、回を重ねる毎に、年を経る毎に感想が変化していく作品。初めて観た時はデ・ニーロ演じるトラヴィスのキャラクターがあまりにも強烈でそこにばかり目がいった。静かにキレていく男。パランタインのシークレット・サービスに話しかける時のトラヴィスの笑顔。口元は笑っているが目が完全に逝ってる。目だけに宿っていた狂気がだんだん身体全体から発散されていくデ・ニーロの鬼演技に唸ったわ。うひょ〜ッ!かっこいいぞ!デ・ニーロ!と能天気に観ておったワケですが。

しかし、ご老体になってから観直してみるとトラヴィスって意外と大きなお世話ヤローだったんだなと。アイリスに説教する件なんてモロお節介ヤロー。クライマックスの一連の出来事も少女を食い物にするヤツらに対して義憤に駆られた末の行為っていうよりは、単なる自己満足ってカンジ。社会は彼を正義のヒーロー扱いしたけれど、本当にアイリスは救われたのだろうか。彼女の心が救われたのなら、自己満足でも構わないと思うけど、果たしてそうなのか。観終わった後に妙に鬱になるワケですわ。すごく考えさせられるけど、共感は出来ないなぁ。

本当は自分を評価してくれない世間に怒りを覚えているだけなのに、それを腐敗した社会への義憤であると自分に思い込ませてるトラヴィス。全編を通してトラヴィスが日記を朗読するナレーションで綴られるんだけど、それが彼の孤独感を一層、強調している。彼が両親へ送る手紙の内容さえも孤独感が漂う。トラヴィスには寄り添う相手がいない。ベッツィもアイリスもトラヴィスの寄り添い合う相手ではない。

ラストで同僚と語り合うトラヴィス。客として乗り込んでくるベッツィの姿はルームミラー越しでしか映らない。トラヴィスが浮かべる笑顔。狂気が見えない。一発大きなコトをやってのけた充足感。ほんの少しの間だけ、彼の精神は退屈な毎日に耐えられるのかも知れない。
1976年/アメリカ/114分/監督:マーティン・スコセッシ
TAXI DRIVER

「俺に話してるのか?」
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